公開日:2026.07.10

最終更新日:2026.07.10

マイルドヤンキーはなぜ同じ見た目なのか?

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目次

田舎のイオン

地方都市のイオンに行くと、よく似た格好の若者たちを見かける。

足にぴったりしたパンツ、蛍光色のスニーカー、決まった髪型。誰かが「今日はこの格好で集合」と決めたわけでもないのに、不思議とシルエットが揃っている。

いわゆるマイルドヤンキーと呼ばれる人たちだ。

なぜ、こんなに見た目が揃うのか。実はこの素朴な疑問は、マーケティングのわりと本質的な話につながっている。

まず、マイルドヤンキーって何だっけ

マイルドヤンキーは、マーケティングアナリストの原田曜平さんが2014年の著書『ヤンキー経済』で広めた言葉だ。

昔ながらの「怖いヤンキー」とは違って、暴れたりはしない。穏やかで、地元が大好きで、仲間と家族を何より大事にする。半径5キロくらいの世界で、気の合う仲間と楽しく暮らす。そんな若者像として紹介された。

特徴をざっくり並べるとこんな感じだ。

  • 地元から離れたくない
  • 「絆」「仲間」「家族」が好き
  • 車(ミニバンや改造車)が好き
  • ショッピングモールが生活の中心
  • そして、見た目がなんとなく揃っている

(ちなみに当時は「そんな層は昔からいた」「決めつけだ」という批判もあった言葉なので、きっちりした分類というより、ひとつの見方くらいに思ってほしい。)

この中で気になるのは、最後の「見た目が揃う」だ。

似た集団は、他の国にもいる

面白いのは、これが日本だけの現象じゃないこと。

ロシアには「ゴプニク」と呼ばれる若者たちがいる。アディダスのジャージを着て、地面にしゃがみ、ひまわりの種を食べながらウォッカを飲んでいる、というのが定番のイメージだ。地元志向で、仲間とつるむ。なんだか既視感がある。

イギリスには「チャヴ」がいる。バーバリーのチェック柄やスポーツウェアが目印で、これも労働者階級の若者たちの集団だ。

国も言葉も文化も全然違う。なのに「地元の仲間とつるむ若者が、特定のブランドを目印にして、同じような見た目になる」という構造がそっくり。世界のあちこちで、勝手に同じことが起きている。

ここまで来ると、これは「田舎だから」とか「日本だから」では説明がつかない。もっと根っこの、人間そのものの話に見えてくる。 今回はその現象をマーケティング視点で考えてみる。

トライブ(部族)マーケティングという考え方

この現象を説明する枠組みに、トライブマーケティングがある。

もともとは、フランスの社会学者ミシェル・マフェゾリが1988年の著書『部族の時代(Le temps des tribus)』で提示した「ネオ・トライブ(現代の部族)」という概念が出発点だ。それをマーケティングに持ち込んだのが、同じくフランスの研究者ベルナール・コヴァだった(妻ヴェロニク・コヴァとの共著論文 "Tribal Marketing"、2002年が代表的)。

コヴァらによる「部族」の定義が、なかなか鋭い。要約するとこうなる。

年齢も性別も収入もバラバラな人々が、共通の情熱や感情によって結びついたネットワーク。彼らは単なる消費者ではなく、その対象の「擁護者(アドボケイト)」でもある。

ここが肝心なところだ。部族をつなぐのは、デモグラフィック(年齢・性別・年収といった属性)ではない。共通の感情や価値観、ライフスタイルだ。だから同じ部族の中に、年齢も収入も違う人が平気で混ざっている。

そしてこの理論が生まれた背景が重要だ。コヴァが活動を始めた1990年代、マーケティングの主流はアメリカ流の「ワン・トゥ・ワン」、つまり個人を一人ずつ細かく狙う発想だった。社会は個人化し、人はバラバラの消費者になっていく、という前提に立っていた。

コヴァはこれに異を唱えた。人は本当にバラバラになりたいのか、と。むしろつながりが失われた時代だからこそ、人はどこかに属したがっているのではないか。だとすれば、人が本当に求めているのはモノそのものではなく、そのモノを介して誰かとつながれること──コヴァの言う「リンキング・バリュー(つながりの価値)」なのではないか。

コヴァの有名な一句が、これを言い切っている。

「つながりは、モノよりも重い(the link is more important than the thing)」

商品の機能や品質よりも、それを介して生まれる人と人とのつながりのほうに、価値の重心がある。これがトライブマーケティングの核心だ。

「部族」は、セグメントともコミュニティとも違う

実務でこの概念を使うとき、混同しやすい言葉が2つある。セグメントと、ブランドコミュニティだ。トライブはそのどちらとも違う。

① セグメントとの違い = 括る軸

セグメンテーションは基本的にデモグラフィックや地理で人を分ける。「30代・女性・首都圏」のように。一方トライブは、属性を横断して「共通の情熱」で括る。だから一つの部族の中に多様な属性が同居するし、逆に属性が同じでも別の部族に属していれば刺さるものはまるで違う。

② ブランドコミュニティとの違い = 忠誠と持続性

ブランドコミュニティは、特定の単一ブランドを中心に、長期的なコミットメントで組織化される(ハーレーダビッドソンの愛好家コミュニティが典型だ)。それに対して部族は、もっと流動的で、はかなく、特定の一ブランドに縛られない。部族はブランドを「使う」が、ブランドに「従属」しない。理論的には、すべてのブランドコミュニティは部族になりうるが、すべての部族がブランドコミュニティになるわけではない、という関係になる。

③ 参加には濃淡がある

メンバー全員が同じ熱量なわけではない。ゆるく共感しているだけの人から、活発に参加する人、生活の中心にしている人、熱狂的な伝道者まで、関与の度合いはグラデーションになっている。しかもこの濃淡は固定ではなく、出たり入ったり、濃くなったり薄くなったりと流動する。

この3点を押さえると、マイルドヤンキーやゴプニクが「部族」のかなり分かりやすい実例だと見えてくる。彼らは年齢で結ばれているのではなく「地元・仲間」という感情で結ばれていて(セグメントとの違い)、特定の一社に忠誠を誓っているわけではなく装いという記号でゆるくつながっていて(ブランドコミュニティとの違い)、その中にもガチ勢からゆるめの人までいる(濃淡)。

そして彼らの「揃った見た目」は、部族の旗印として機能している。服が高機能だから選ばれているのではない。「自分はこの仲間だ」と示す記号だから選ばれている。アディダスやバーバリーが、自社で狙ったわけでもないのに特定の部族の旗になったのも、同じ原理だ。ブランドは、誰の旗になるかを完全には選べない。

マーケターは、部族とどう関わるのか

ここからが実務の話になる。トライブという見方は、具体的に何を変えるのか。大企業だけの話に聞こえるかもしれないが、むしろ中小・ローカルビジネスやBtoBにこそ効く考え方だ。順番に見ていこう。

1. 属性ではなく、情熱で顧客を捉え直す

まず、顧客の見方が変わる。「30代・女性・年収500万」という属性の箱で捉えるのをやめて、「何に情熱を持ち、どんな価値観で群れているか」で捉え直す。

同じ「30代・女性・年収500万」でも、サステナビリティ重視の部族の人と、推し活に全力な部族の人では、響く言葉も、信頼する情報源も、買うものもまるで違う。属性で見ている限りこの差は見えないが、部族で見れば一気に解像度が上がる。マイルドヤンキーという捉え方が当時のマーケティングで重宝されたのも、まさにこれだった。

身近な例で考えてみる。 たとえば地方都市の美容室。「30〜40代女性」とターゲットを置くと、隣町の大手チェーンと同じ土俵で価格やクーポンを競うことになる。だが「ナチュラル思考で、子どもにも自分にも添加物を避けたいママたちの部族」と捉え直すと、店づくり・使う薬剤・SNSの言葉づかい・置く雑誌まで一本の筋が通り、価格競争から抜け出せる。属性ではなく情熱で括った瞬間、戦う場所が変わる。

2. 支配するのではなく、支援する

ここが、従来のマーケティングと最も発想が違う点だ。

部族は企業が作るものでも、コントロールするものでもない。自然発生的に生まれ、流動する。だから企業の役割は、部族を「狙って動かす」ことではなく、部族の活動を「支援する」こと、彼らがつながる場や記号を提供する共創パートナーになることだとされる。

なぜなら、部族のメンバーは単なる買い手ではなく「擁護者(アドボケイト)」だからだ。彼らは自発的にブランドを語り、仲間に広める。この口コミ的な伝播こそが部族マーケティング最大の見返りで、企業が上から操作しようとした瞬間に、それは冷める。手綱を握ろうとするほど逃げる、という厄介さがある。

BtoBでも同じだ。 たとえばニッチな業務SaaSが、ユーザー同士が運用ノウハウを教え合うコミュニティやイベントを「主催する」のではなく「場を用意して見守る」スタンスを取ると、ユーザーが勝手に導入事例を語り、新規顧客を連れてくる。売り込むより、語りたくなる場を整えるほうが効く、という発想だ。

3. ニッチを取りにいく覚悟を持つ

トライブマーケティングは、マス(不特定多数)を狙う手法ではない。特定の部族に深く刺さることを狙う以上、それ以外の層には刺さらない、むしろ遠ざける、という機会費用を引き受けることになる。

ナイキがコリン・キャパニックを起用した広告が分かりやすい。社会的公正という価値観を共有する部族と深くつながる代わりに、それに反発する層が離れることを承知のうえだった。「全員に好かれよう」とすると、どの部族の旗にもなれない。

規模が小さいほど、この覚悟はむしろ武器になる。 地方の小さな工務店が「とにかく安く、誰にでも」を掲げても、大手には体力で勝てない。だが「自然素材と職人の手仕事にこだわる人たちの部族」に振り切れば、価格で選ばない濃い顧客と、その人たちの紹介で回る世界が手に入る。深いつながりと引き換えに一部を捨てる──この覚悟が、トライブマーケティングには要る。

4. 自社は、何かの部族の旗になれているか

最後に、ブランドへの問いがこう変わる。「自社の商品は他社より高機能か」ではなく、「自社の商品は、誰かの部族の旗になれているか」。

機能やスペックで選ばれているうちは、まだ旗ではない。価格を下げた競合が出れば乗り換えられる。だが「これを持っていると、自分が何者か示せる」「これを介して仲間とつながれる」というところまで到達したとき、商品は旗になり、顧客は簡単には離れなくなる。コヴァの「つながりはモノより重い」を実務に翻訳すると、商品の性能を磨くのと同じだけ、その商品を介して顧客同士がつながれる仕掛けを設計せよ、ということになる。

まとめ

マイルドヤンキーがなぜ同じ見た目なのか。 答えは、彼らが「仲間の旗」を着ているからだ。そして旗を掲げて群れたくなるのは、彼らに限った話じゃない。 タワマンに住む層にも旗があるし、スタートアップ界隈のパーカーも旗だ。この文章を書いている自分にも、たぶん気づいていない旗がある。 人はどこかに属していたい。服が揃うのは、その気持ちが目に見える形になっただけ。そしてマーケティングとは、突き詰めれば、この「属していたい」という古くて素朴な願いに、どんな旗を差し出すかという仕事なのだと思う。 あなたの商品は、誰の旗になれるだろうか。

システムエンジニア・コーダー
M.I
数社のメガベンチャーでのインターンシップや海外のビジネススクールでの留学を経て、YOAKEに参画。 Webサイト構築、デザインシステム開発、RPAツール設計などのプロジェクトに携わり、観察記録やインタビューに基づく質的研究手法を用いた市場調査を実施することを得意とする。 また、海外での留学経験から英語力にも自信がある。
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