コンビニで水を買おうとして、手が止まった
コンビニで水を買おうとして、棚の前で少しだけ手が止まったことがある。
500mlのペットボトルが108円。 2Lのペットボトルが100円。
4倍の量が入っているほうが安い。
おかしい、と思った。けれど、レジに進む頃にはもう忘れていた。 水を片手にそのまま家に戻り、午後はコードを書いて、夜になってふと顔を上げたとき、あの違和感が戻ってきた。
なぜ500mlのほうが高いのか。
値段は「中身」につけられていなかった
まず事実関係から整理する。
メーカーの希望小売価格を見ると、本来は500mlが130〜140円、2Lは270〜336円。容量が4倍なら値段も2倍以上、というのが「正しい」価格構造だ。それがコンビニで逆転している。
コンビニ各社は近年、スーパーの代わりとして日常使いされることが増えています。そのため、生活必需品である2Lの水については、スーパーの実勢価格に合わせて戦略的に安く設定しているという背景があるようです。特に2リットルの水は需要が高く、お求め頂きやすいよう"スーパーの実勢価格"に合わせています。
つまり、2Lが安いのは「コンビニが安く売っている」というより、「スーパーが激しく値下げ競争をしていて、コンビニもそれに合わせざるを得ない」という構造の結果らしい。
ここまでは納得できる。 わからないのは、その逆——なぜ500mlは値下げ競争に巻き込まれないのか、だ。
「今すぐ」が買われている
考えてみると、500mlの水を買う場面は、たいてい急いでいる。
電車の発車5分前、商談の合間、ランチを食べたあと。 そういう瞬間、人は「1円でも安い水」を探さない。「今すぐ手に入る水」を探す。スーパーまで歩いて行ってカゴを持って並んで、なんてやっていられない。
つまりコンビニの500mlは、水ではなく「今すぐ」を売っている。
正確に言えば、買う側もそう感じている。「水に108円払う」のは高いが、「今このタイミングで喉の渇きを止められる権利に108円払う」のは妥当だ。同じ商品なのに、認識される価値がまったく違う。
これが面白いところで、500mlの値段は「水の原価+利益」で決まっているのではなく、買う人が置かれている状況に対して値付けされている。状況が変われば、値段も変わる。映画館で500円の水を買ってしまうのも、同じ理屈だ。代替手段がない状況では、人は普段の3倍でも払う。
価値は、商品の中身ではなく、それを取り巻く文脈に宿っている。
これが「コンテクストマーケティング」と呼ばれている
この考え方には名前がついていて、コンテクストマーケティングと呼ばれている。
商品やサービスそのものの価値ではなく、それが届けられる文脈(場所・タイミング・状況・気分)こそが、ユーザーにとっての価値を決める。同じものでも、置かれる場所が変われば、響き方も値段の妥当性も変わる。
コンビニの500mlは、その教科書的な実例だ。 水という商品を売っているのに、本当に売れているのは「急いでいる人にとっての"今すぐ"」という文脈の価値だった。
そしてこの考え方は、価格設計だけでなく、広告の世界にも同じように当てはまる。「商品をどう説明するか」ではなく、「それが届くときの文脈に、どう寄り添うか」を考える。広告の言葉は、商品の特長を語る前に、その瞬間にその人が感じている気分に話しかけるべきだ、というのがコンテクストマーケティングの広告における基本姿勢になる。
そこまで考えていて、急に頭の中に浮かんできたのが、学生のころに自分でケーススタディとして取り上げたDIESELの広告キャンペーンだった。
大学のケーススタディで取り上げたキャンペーン
僕はもともとDIESELの広告クリエイティブが好きで、よく自分でも調べていた。 だから学生のころ「ブランドのデジタルマーケティング戦略」という授業でケーススタディの題材を選ぶことになったとき、DIESELの2015〜2016年のキャンペーンを取り上げた。今でもときどき思い出すくらい、印象に残っている。
何が印象的だったか。 広告を、広告じゃない場所に出していたこと。そして、その場所にいる人の気分にぴたりと話しかけるコピーを置いていたことだ。
普通、ファッションブランドはVogueやGQ、Instagramや屋外広告にお金を使う。「ファッションを見るための場所」に出稿するのが定石だ。
DIESELはそれをやらなかった。 彼らが選んだのは、ShazamとTinderだった。
Shazamは、街で流れている曲を認識するアプリだ。DIESELはそこで、アプリが「うまく聞き取れませんでした」と表示する画面の真下に広告を出した。コピーはこう。
「私もわかりませんでした」
モデルが申し訳なさそうな顔をしている。
Tinderでは、自社のモデルをユーザーに紛れ込ませた。スワイプしていると、突然彼女が現れる。
商品ではなく、その瞬間の気分に話しかけている
学生のころは「面白い事例だな」くらいの感覚だったが、コンテクストマーケティングという軸であらためて見直すと、このキャンペーンの核心がはっきり見える。
媒体選びの大胆さではない。 コピーが、媒体の文脈と完全に噛み合っていることだ。
Shazamで曲を当てられず、ユーザーが「あー、なんだっけ」となっている瞬間に、「私もわかりませんでした」と返してくる。これは広告というより、ユーザーの感情への相槌に近い。
Tinderでスワイプしている人は、「いい人いないかな」という気持ちで画面を見ている。そこに「これが私の本気です」と書かれたモデルが現れたら、思わず指が止まる。これは商品の説明ではなく、ユーザーが今まさに感じている気分への返答だ。
つまりDIESELは、デニムやTシャツを売るのに、「うちのデニムは〇〇」とは一言も言っていない。代わりに、その媒体を開いている人がその瞬間に感じているであろう気分に、ぴたりと言葉を置いている。
そして、その気分にきちんと話しかけられたとき、「あ、このブランドはわかってる」という感情が生まれる。商品を覚えてもらう前に、ブランドへの好感が先に立ち上がる。
コンビニの500mlが「水ではなく今すぐ」を売っていたのと、構造はまったく同じだ。売っているものは商品ではなく、その瞬間にその人が必要としている何か。値段の話か、コピーの話かの違いはあれど、根っこは同じコンテクストマーケティングの発想に立っている。
多くの広告が刺さらない理由
ここから自分の仕事の話に引き寄せると、多くの広告が機能しないのは、商品の特長を語ることに必死になりすぎて、「それを見ている人が、その瞬間どんな気分なのか」を考えていないからだと思う。
電車の中でぼーっとしている人に、「業界No.1のSaaS」と書かれたバナーが現れても、ほとんど何も起こらない。 でも「資料作りに追われて週末を消費した、あの感覚をなくしたい人へ」と書かれていたら、少しだけ指が止まるかもしれない。
媒体と商品ではなく、媒体とそこにいる人の気分を合わせにいく。
そう考えると、コピーを書く仕事も、媒体を選ぶ仕事も、結局は同じ問いに行き着く。 「この人は今、何を感じているのか」。
つまり、あれは派手な広告事例なのではなく、ユーザーへの想像力をどこまで丁寧に持てるか、という問いの極端な答えだったのだ。
おわりに
500mlの水が2Lより高い、という違和感から始めて、ずいぶん広い話になってしまった。
ただ、振り返ってみると、コンビニの価格設計もDIESELの広告キャンペーンも、やっていることはシンプルだ。商品ではなく、それを手に取る人の状況を見ている。それだけ。
僕は普段エンジニアとしてプロダクトに関わる立場だが、UIのコピー一つ取っても、機能の説明をするか、ユーザーがその画面を開いた瞬間の気分に答えるかで、伝わり方は大きく変わる。コンテクストマーケティングは広告だけの話ではなく、プロダクトに触れるすべての言葉に通じる考え方だと思う。
次にコンビニで水を買うときは、もう少し気持ちよくお金を払えそうな気がする。







